さすらい猫の愚痴

音楽のこととか、まあ他にもいろいろ書こうかなぁと思います。あと一人称がコロコロ変わります。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てやっと歌詞の意味が分かった気がする。

 

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 僕の中でタンクトップが似合う人といえば、尾崎豊カール・バラー、そして

フレディ・マーキュリーだ。(あ、あと山下清もね)

全員白いタンクトップが良く似合うよね。

そんな白いタンクトップがお似合いのフレディー・マーキュリーの生きざまを描いた

映画「ボヘミアン・ラプソディ」をこないだ見てきました。

 

まず率直に感想から述べると…

 

すげーよかった。

 

クソみたいな感想だけど、本当にすげー良かった。

IMAXで見て正解。ライブシーンは臨場感があって「We Will Rock You」の演奏シーンは圧巻だった。

やっぱQUEENは映えますね、映画にはもってこいって感じがする。

あとは曲のメイキングシーンから演奏シーンへのカット割りがよかった。さっきも言った「We Will Rock You」もそうだけど、他にも「Another One Bites the Dust」とかもかっこよかったなぁ。

 

俳優陣に関してはみんな似てたと思う。特にブライアン・メイはすげー似てた。ブライアン・メイ本人も若いころにそっくりだと太鼓判を押してるそうです。

ただ、フレディ役の人なんだけど、顔はけっこー似てるけど出っ歯に笑いそうになってしまった。(笑)

顔のアップのとき口の中に異物入れてる感がけっこーあったけど、まあそれもご愛敬ということで。

 

僕は恥ずかしながらQUEENに関してはベスト盤を持っている程度で、そこまで詳しくはない。だけどQUEENの偉大さは漠然と知っていたつもりだし、好きな曲もけっこーある。しかし、アルバム単位で集めようとはあまり思わなくて

ベスト盤で十分っしょ!!

とか思ってました。

しかし!!

今回この映画を見て考えが変わりました。

集めます、CD。

この時代にCDかよ(笑)とお思いの方もいらっしゃることでしょう。

確かに今はストーリーミングが主流となりつつありますが

 

ほんとに好きなら買っちゃいますよ!!

 

ではなぜ僕がこんなにもQUEENに芽生えたのか?

それは今回のタイトルに深く関わってくるんですねぇ。

 

みなさんは映画のタイトルにもなった「ボヘミアン・ラプソディ」の和訳を読んだことはあるでしょうか?

僕は前からこの曲の歌詞について、疑問に思っている部分がありました。

その部分というのはこちらです。

 

Mama,just killed a man

ママ たった今、人を殺してきた

 

         出典元 Queen~伝説のロックバンド~ より

 

ずっと謎だったんですよね。人を殺したってどゆこと??

 

そしてその後も悲観的な歌詞が続きます。

 

Mama,life had just begun

ママ 人生ははじまったばかりなのに

But now I've gone and thrown it all away

僕はもうだめにしてしまった

Mama,ooo

ママ ああ ママ

Didn't mean to make you cry

ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど

If I'm not back again this time tomorrow

明日の今頃になって僕が戻らなくても

Carry on, carry on,as if nothing really matters

今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように

 

                出典元 Queen~伝説のロックバンド~ より

 

なにをそんなに思い詰めていたんだ!!フレディさんよぉ!!

 

こうみるとものすごく暗い歌詞ですよね。

しかし僕はこの映画を見て歌詞の意味が少しだけ分かった気がしました。

 

ボヘミアン・ラプソディ」は

 

過去の自分との決別を歌った曲

 

様々な解釈がありますが僕はこう感じました。

 

映画の中でこのようなシーンがありました。それはフレディが自分の名前を改名したと家族に喋るシーンです。このことに父親は「苗字まで変えたのか!」と呆れていました。フレディの本名はファルーク・バルサラといい、改名後フレディ・マーキュリーとなりました。このシーンの前にも、家族とフレディの彼女であるメアリー、そしてバンドメンバーでの食事中に母親がメアリーにフレディの昔の写真を見せようとして、フレディがそれをすごく嫌がるという場面もありました。またメアリーとステージに上がった時の心境について話しているシーンでフレディは「ステージの上では、なりたかった自分になれる」とこのように言っていた。

これらのことからフレディは自分自身(ファルーク・バルサラという名だった過去の自分)があまり好きではなかった。むしろ嫌いだったのではないかと思います。

そしてフレディ・マーキュリーとしてステージに上がることで、嫌いな自分からなりたかった自分になることができた。

そういった思いから、過去の自分との決別という意味を込めて「人を殺した」という表現をつかったのではないでしょうか?

ではなぜこんなにも悲観的なのか?なりたい自分になれてハッピーではないのか?

歌詞を見ると母親への懺悔のようにも感じとれます。

それはやはり過去の自分を殺した(なりたい自分になった)という罪悪感、反抗的で親不孝な自分、そしてなにより自分はゲイであるということ。これらのことが「母親への懺悔」といった形であらわされていると僕は思いました。

なりたい自分になった、しかしそれは自分がペルシャ系インド人であるという誇りを捨ててしまうことでもある。また、自分のセクシャリティ、つまりゲイ(実際はバイセクシャルのなのか?)であることは、今とは違ってなかなか受けいられなかっただろう。僕の勝手な解釈だが、「ボヘミアン・ラプソディ」にこういった意味があると思うと僕はより一層フレディ・マーキュリーという人物が好きになった。

彼はマイノリティティの中のヒーローだったのだ。

この曲の中で「ガリレオ」の名が連呼される部分がある。

それは地動説によってマイノリティ側にいたガリレオに対するリスペクト?のようなことなのかなぁと勝手に思っています。(笑)

The Smithsのモリッシーもそうですが、ロックにおけるカリスマ、スターというのはいつの時代も弱者(ここでいうマイノリティ)の味方である。

この映画を見てそれが分かりました。

フレディ・マーキュリーは人生をかけてマジョリティと戦い、世の中に「多様性」という言葉をもたらしてくれたと僕は感じました。

かっこよすぎるぜ!!フレディ・マーキュリー!!!

 

まだ映画見てない人は是非劇場に足を運んでみてください!!QUEENを知らない人でも十分楽しめる内容です!

この映画を見ればあなたもフレディ・マーキュリーの魅力に引き込まれることでしょう。